緋色のことば

私的なことばを書き連ねたり、SFを書いたりします。

水木しげる「水木サンの幸福論」

 

水木サンの幸福論 (角川文庫)

水木サンの幸福論 (角川文庫)

 

 後世に残る「ことば」というのは二種類あると思う。一つは、言葉そのものに力が宿り、国家や時代を超えて人の心に響くもの。経典や聖典はもちろん、文芸作品の名文だってそうなることがある。

で、もう一つ上げるとしたら、その人の生き様を知った上で重みが増す「ことば」の存在だ。そういった意味では、水木しげるさんが残した言葉が良い例だと思う。ネット上でも有名な「幸福の七カ条」として記された言葉を改めて振り返ってみたい。

第一条:成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない。
第二条:しないではいられないことをし続けなさい。
第三条:他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追求すべし。
第四条:好きの力を信じる。
第五条:才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。
第六条:なまけ者になりなさい。
第七条:目に見えない世界を信じる。

 これだけの文章だと、分かったような、分からないようなところだ。納得できるようなところもあるけど、「そうかな?」などと思う部分も多い。だけど、この書籍に書かれている水木さんの生き様を追っていくうちに、その言葉が持つ深さが染みてくるところが面白い。けっこう大変な時代を生き抜いてこられた水木さんだけど、独特のユーモアがふんだんに混じっているから、従軍時のエピソードですらもクスリと笑ってしまい、最後まで読んだとき、なるほどと納得してしまった。

僕自身は、年を取るまで、なかなかこの七カ条に書き記された生き方を出来なかった。自分自身は大したことがないことを認められず、ついつい、力を誇示するようなことをしたりしては、ずっと苛立ってリーマン生活をしていたように思う。フリーランスになってからも、自分が人生の落伍者であるかのように感じることが多々あって、いつか見てろよ! なんていう妙な成功欲にとらわれてばかりだった。結局の所、他者の目や社会的地位を意識しすぎていたということだ。目の前のことに、純粋に向き合えていない。

最近、毎月50万もらって…なんていう広告文が妙な炎上騒ぎを起こしたけど、あの話が問題なのは、この国で月給30万円の固定収入を得られるっていうのは生活苦になるほどのレベルではないという点にある。それくらいの収入が確実に得られるなら、かなりの人間が好きなことに打ち込めるだろう。しょせんは、無謀なチャレンジなどしたことがない、安定的な立場にいる人間の理屈なのは間違いなくて、だからこそ問題を引き起こしてしまった。良いことを言おうとしただけの「ことば」が、いかに軽いものかを示した典型例だろう。

水木さんの生き様を知れば、好きなことだけをやろうとする生き方がいかに大変かが分かる。とてもじゃないけど、僕にはここまではできない。「絵を描く」ということにひたすら純粋で、得られたわずかな収入すらも、絵や物語を生み出すための資料などに費やしてしまう情熱。多くの同業者が夢を諦める中、水木さんは続けてこられた。ご本人が言うところの「好きの力」が猛烈にあったからだろう。

ただし、好きなことを突き詰めれば成功する、などという、ありがちな成功論も口にはしていないところが良いな。頑張ったところで、失敗するかもしれない。好きなことをやり続けても報われないことも多いから、「努力しても裏切られる」というくらいに構えておくくらいのほうがちょうどいい、それでも続けられるくらいに好きなことに打ち込むべし、ということだろう。つい最近、僕はようやくこの言葉を身に染みて感じられるようになった。

人の生き様が形になった「ことば」というのは、やはり力があるなと思う。特に、一つの道を信じて生き抜いてきた人の言葉は、世の中にあふれる「テクニックとしての解説書的な人生論」では到底及ばない重さがある。だから、読書はやめられない。

個人的には、この七箇条のうちの五箇条までは、自分自身の実体験としても納得できるようになってきた。未熟な僕もようやく大人になったなあと最近は思うのだけれど、残る二つ、なまけ者になること、目に見えない力を信じること、この二つについてはまだまだだ。水木さんの経験談としては理解できるけど、自分自身の実感としては得られていない。四十五十ははなたれ小僧とは言うけど、オッサンの僕もまだ若造ということか。

水木さんは他にも名言を多く残しており、特に「睡眠の重要性」については年を経るごとに痛感するようになった。人間、よく食べて、よく動いて、よく寝るべきだ。そうして、水木さんのように、高齢になっても好きなことを続けられるように頑張っていきたい。そうすれば、最後の最後で「目に見えない世界」の存在を感じるのかもしれない。