緋色のことば

私的なことばを書き連ねたり、SFを書いたりします。

世界で一番たいせつなあなたへ~マザー・テレサからの贈り物

久しぶりの読書記事は、以前から気になっていたこちらの本。ようやく手にして読み終えたばかりの今、思うところを書きたい。 

当書籍は、マザー・テレサとともに活動した経験がある神父によって、その言葉の意味するところを分かりやすく説明している。書籍としての分量は少ないけれど、その分、心が疲れたときには何度も読み返してみたい良書だった。言葉ごとに添えられているイラストも素敵で、言葉が伝えようとする世界観を上手く表象している。

マザー・テレサについて今さら説明することはしない。修道女としての業績は多くの人に影響を与え、児童向けの書籍だってあるのだから、調べればすぐに分かるはずだ。僕が言いたいのは、やはり、彼女の「ことば」が持つ力だ。

名言を残した偉人として語られやすいマザーだけれど、その言葉に曖昧さがまるで無いところが良い。短くとも、伝えるべきことを的確にまとめている。最近になって頻繁に話題になる「自己肯定感」につながる考え方についても、彼女は多くの言葉を伝えている。たとえば、こんな風に。

愛されるために、自分と違ったものになる必要はないのですよ。
ありのままで愛されるためには、ただ心を開くだけでいいのです。

 シンプルにして具体的な言葉だ。僕などは、この言葉通りの生き方をできなかったからこそ、ずっと苦労してきたようなものだ。オッサンになった今になって振り返ると、異常なまでに同調意識を植え付ける日本社会で生きる中、僕なりに「とりあえず僕は、みんなと同じなんですよ」という演技を必死になって続けて、ごまかしてきただけのように思う。(うまくできなかったけど) マザーの言葉通りに、自分と違ったものになる必要はないと割り切るまでにずいぶん時間がかかった。だからこそ、この言葉が身に染みてくる。

あるいは、ストレス社会に生き続ける中で心がすさみがちな現代人に響く言葉も多い。これなどが、そうだろう。

傲慢で、ぶっきらぼうになるのはたやすいこと。
でも、わたしたちは
もっと偉大なことのために生まれてきたのです。
わたしたちは、
愛し合うために生まれてきたのです。 

 この言葉は、後半部分の「愛し合うために……」だけであれば、ありがちな言葉になってしまう。だけど、「傲慢&ぶっきらぼうになるのは簡単」と最初に言い切っているところが良い。人間の自己中心的な性質を目の当たりにして悩み続けてきたから、このように言えるのだと思う。だからこそ彼女は、「愛し合うために生まれてきた」と訴えているわけだ。多くの人が共感しやすい言葉となっているから、心に響いてくる。

このほかにも多くの言葉があり、どれも深い意味がある。ここで全てを語り尽くせないけど、そもそもマザーの言葉はあらゆるところで伝えられているから、気になる方はチェックしていただきたい。多くの言葉が、自らの悩みを客観的に考え直したくなる力に満ちている。

ただし、知っておかねばならないことがある。世に伝わるマザーの言葉の多くは、実際に見聞きした人が伝えたものだ。この書籍の著者が冒頭で語っているのだけれど、実際にマザーと出会って悩みを打ち明けた多くの人が、「私こそ、世界で一番マザーに愛されている」と口にしたという。たった数分の会話しかしていなくとも、だ。彼女の言葉はテキストのみでも力強いのは間違いないけれど、やはり、生身の温かさととももに伝えられる言葉にこそ価値があるということだろう。

ライターとして日銭を稼ぐ僕が思うに、言葉は完璧ではない。だけど、一度でも言葉として固定されると意味が生じてしまうところが厄介だ。そうして、テキストだけの「軽いことば」が頻繁に行き交うようになった今の時代、実際に会って話すよりも、電話で語るよりも、意思疎通の中心がテキストになってしまった。昔であれば、別れたきりになる人や、会ったこともない人達との関係ばかりが増幅していき、不完全な「テキストだけの言葉」でやりとりしてしまう。

最近になってようやく問題視されたSNSの誹謗中傷にしても、制度としての対策をとるのは当然ながら、それだけでは本質的な問題解決にはならないと思う。言葉というのはいくらでも繕えるから、本人だけしか分からない隠語でターゲットを傷つけるのは容易だからだ。僕自身の体験としても言える。

そもそも匿名の人間が放つ誹謗中傷が心に刺さる理由を、改めて考えてみたい。よく言われるとおり、会うことがない人間だからこそ言えてしまう、制限のかかっていない内容だからという説明は確かだろう。この点については誰もが言うところなので、僕は別の側面を指摘したい。先ほどのマザーの話と重なるけれど、言葉は生身の温かさと共に伝えられて、初めて価値がある。賞賛や慰めのような愛の言葉であれ、批判や誹謗中傷のような悪意の言葉であれ、同様だ。

この点を、分かりやすい例で考えてみたい。

あなた自身に向けられた誹謗中傷が匿名の人間によってなされた場合、テキストとして固定された言葉を眺めたときに、あなたの脳内ではどういう言葉が再現しているだろう? おそらくは発言者のプロフをチェックして、過去の発言内容を眺めて、想定しうる性別、年齢、嗜好、性質を考慮した上での「それっぽい声と喋り方」で再現しているはずだ。なぜなら、言葉として語られた文字を読むと、人間はそのように反応してしまうからだ。小説や漫画のセリフと同じことだ。

ここで厄介なのは、誹謗中傷の言葉を脳内で自動思考的に再現するとき、たいていの人は「ありえもしないくらいに、冷酷な声」を想像することだ。これまでの人生でもっとも嫌なタイプの人間、例えば、学生時代の嫌な教師や先輩、あるいは、職場での高圧的な上司のようなものだ。もっと厄介なケースになると、現実ではありえない声と喋り方を想像するかもしれない。つまりは、アニメの声優さんがやるような、極端にデフォルメされた悪役キャラや冷酷キャラの声で再現される危険性だ。

こうなってしまうと、ただでさえ心をえぐる言葉の悪意がさらに増幅してしまう。相手を特定出来ない状態での言葉は「生身の温かさを伴っていない」から、こういった危険をはらんでいる。

逆に、ファンからもらえる賞賛や励ましの言葉に勇気づけられる理由も、根本は同じであるところが厄介だ。温かい言葉に触れたとき、やはり人は、想定しうる「もっとも良い人」の声と喋り方をイメージするからだ。だからこそ、やめられない。

少し語りすぎたかな。もしこのブログを見て、匿名発信者の誹謗中傷に思い悩む人がいれば、改めてその言葉に向きあい、具体的な対策をすることをお勧めする。自動思考的に再現された声は偽物だと自分自身に言い聞かせ、逆に、あなたにとって「大したことがない人物像」の声をイメージしてみるのだ。認知行動療法の考えにも近いやり方だけど、意外に効き目があることを、実際にやってみた僕が断言する。(一番良いのは、Twitterなどはやらないことだけどね。僕は、FacebookもLINEもやめている)

閑話休題。マザーの話に戻ろう。

基本的に、人が悩み続けるのは、うつ病のループ思考と同じだ。そこから脱するには、まずは規則正しい生活&睡眠&運動が大事であり、加えて、思考パターンを変えていく必要がある。マインドフルネスで重視される、「過去や未来にとらわれず、目の前の事象に集中する」というやつだけれど、マザーはこの点についても、綺麗なことばでまとめている。とても有名な、この言葉を最後に引用したい。

昨日は過ぎ去りました。
明日はまだ来ていません。
わたしたちにあるのは今日だけです。
さあ、いま始めましょう。